あの頃僕らは凶徒の拳に夢中だった
時は2000年、世界は世紀末の喧騒の中、私は同級生の弟ととあるゲームにハマっていた。
続きを読む滑舌が悪いことを責めるつもりはない、ただ自覚はしてくれ
今日、持っているICカードにちょっとした手続きが必要になり駅の改札でそれが可能かどうか尋ねたところ小太りの男性駅員さんにこのような返答をもらった。
「ちょりゃすめんですてえちょすにゃでりす」
若干の誇張は否めないが本当に何を言っているのか聞き取れなかったので完全に頭の上に「?」マークが浮かんでいただろう。
ぽかんとしている私に駅員はつづけた。
「ちょっとそれは面倒ですが"エチョス"に行ってもらう必要があります」
少しずつ言葉の輪郭がはっきりしてきたように思えるが肝心のところが聞こえず、思わず目を見開いてしまった。
「ちょっと面倒ですが"エチョス"に行ってもらわないといけません」
ダメだ、何度聞いても"エチョス"がわからない。駅構内に新しくできた施設の名前だろうか、いや、そんなもの聞いたことがない。
そこで思わず聞き返してしまった。
「エチョス?」
すると隣にいた女性駅員さんが見兼ねて解答を示してくれた。
「駅長室です」
あ~!そうだったのか!というアハ体験と共にお礼を言って立ち去った。
しかし、ここで沸々と怒りが込み上げてきた。
駅長室をどう言ったらエチョスになるんだよ
滑舌が悪いことは仕方がない。でも、それを自覚はして欲しいんだ。
自覚した上で滑舌が悪いなら悪いなりに丁寧な発声・発音を心掛けてほしい。
駅員という仕事上、客と会話することは多くあるだろう。
その都度、相手にこのような顔をされてきたのではないか、その原因は自分にあるかもしれないと考えたことはないのかということなのである。
これは滑舌に限った話では無いのかもしれない。
仕事や日常生活で何か問題が起こった場合、まず自分に原因があるのではないかというふうに考えることが日々を快適に過ごす上で重要であるのだ。
あれ?
じゃあ、悪いのはあの人の滑舌じゃなくて、俺の耳・・・?
いやぁ勘の良い子は嫌いでねぇ・・・
ってぜってぇーあいつの滑舌が悪かったからに決まってっからな!
だってe-ki-cho-u-shi-tsuとe-cho-suだぜ!!!
滑舌が悪いことを責めるつもりはない
ただ、母音の数くらい合わせてくれ!!!
何が好きかで自分を語れよ
「何が嫌いかじゃなくて何が好きかで自分を語れよ」
これはワンピースのルフィのセリフ、、、ではなくツギハギ漂流作家というジャンプで残念ながらもすぐに打ち切られてしまった漫画のセリフなんですが、この「〜〜じゃなくてなにが好きかで自分を語れよ」って言葉はめちゃめちゃ応用効くことに気づいたんです。
皆さんもぜひお試しください。以下に使用例を書いてみました。
1.意識高い系の自慢に対して
「あー寝てねぇわ、最近全然寝てねぇわー」
『睡眠時間じゃなくてなにが好きかで自分を語れよ』
予想外の角度からいきなりこんなん言われたらきょとんですよね
2.銭湯でびっくりするくらい立派なものをお持ちの方を見たとき
「おい見ろよ!あそこにいる人!チン〇マジでバケモンじゃねー」
『チン〇のでかさじゃなく何が好きかで自分を語れよ』
自分を語ってるわけじゃないのに、いわゆる論点ずらしですね
3. カタカナ語多様で会話してくるやつ
「先方とのアジェンダをゼロベースでコンセンサスからコミットしていこう」
『カタカナ語じゃなくて日本語で語れよ』
正論論破の助。
いかがだったでしょうか?
まだ使用例があまりありませんが、今後思い付くたびにこの記事を更新していこうと思っている所存です。
ちなみに私は今月に高校時代の同級生との温泉旅行を控えていますので、立派なものをお持ちのO河内くんに2番を実践してみようと思います。
不労所得がほしい
ずばり今回のテーマですが、昨日の仕事中に思い付いた単なる魂の叫びです。
不労所得が欲しい。
働かずしてお金を稼ぎたい。
何もせずともお金が入ってくるシステムを構築したい。
I want Furou Shotoku.
I wanna earn money without working.
Eigo ni yakushikataga wakaranai.
僕の人生のテーマとして、『いかに楽して生きていくか』なんですがこれを中学校の時の懇談で担任に告げると大溜息をくらわされた記憶が微かにあります。(タバコのFlavorがした)
働いてお金を稼ぐ
人生の約3分の1の時間をこれに費やさないといけないんですが、睡眠でも3分の1を費やしていたら自分の時間なんて、ねぇ、、、算数の得意な人にしかわからないじゃないですか。
どうせだったら人生の半分くらいは自分のやりたいことをやって過ごしたい。
今も昔も変わらない人類普遍のテーマだと思うんです。
好きなことやってお金を稼げている人や「仕事こそがわいの生きがいやで!」っていうような意識高めの人にとっては考えたこともないかもしれませんが世の中の9割から10割の人がいきなり目の前に自由に使っていいお金が降ってきたら喜ぶと思うんです。
金持ちから貧乏人に再分配を!とまで過激な思想は持ち合わせていませんが、大企業の内部留保はクソくらえと思いますし、ベーシックインカムが導入されたらきっと脇が甘くなるくらい喜ぶと思います。
ただ、まぁインターネット技術の進歩したこの時代、不労所得をゲットすることは世界征服ほど絵に描いた餅でもない気がするんです。
ざっくりいうとこういったブログ記事もそうですし、Youtubeのような動画など一度作成してしまえばそれがのちのち財産となって収益をもたらしてくれる、そんな時代なんですよね、今は。
地主が駐車場経営するのと一緒ですよ。
まぁ親から相続した土地で本当の意味での「不労所得」をゲットしているボンボンは年に4回くらい生牡蠣にあたって苦しむ必要はあると思いますが。
土地で例えるなら、ネットの世界もほぼほぼ開墾されつくした感があると思いますが、競争こそ激しいものの、何かたぐいまれなアイデアを思い付いたらそれだけで一発逆転開拓地のフロンティアになれる可能性は残っていると思うんです。
そういった意味でも不労所得を得る、ということはまだ誰も思い付いていないアイデアを開拓するという行為の延長線上にあると思います。
常になにか新しいものを考える。アイデアを持つ。
ダメもとでも何からか手をつけてみる。
こういったフロンティアスピリッツをもって今後も不労所得をゲットする可能性を模索していきたいなと思っている所存でございます。
結局何が言いたいかわからなくなってしまいましたが、
不労所得を手に入れるために頭をいっぱい使って行動してみる
というイソップ童話でございました。
めでたしめでたし
あくまでも気楽に気の向くままに
思い立ったが吉日。ということで始めてみました日直日誌というブログです。
筆者は中高一貫校に6年間通って青春を謳歌できずに悶々とした日々を過ごしていたんですが、そんな私が唯一楽しみだったのが月に1回まわってくる日直の日。
まぁほかの学校と同じ感じだとは思うのですが、出席番号順に日直がまわってきて黒板消しやら号令やらをかけるという仕事とともに日直日誌という日報のようなものを書かされるんです。
それがまぁ自分にとってはいわゆる自己実現の場(今風に言うと承認欲求を満たす場なのかな?)であって、これでもかとばかりに好き勝手書かせてもらってました。
それが功を奏したのかなんなのか、卒業時に一人一枚ずつ書いてもらえる『寄せ書き』にはいろんなクラスメイトからありがたいことに「日直日誌がおもしろい」という評価をたくさんいただきました。逆にそれ以外書くことなかったのかなと思ったりお前ちゃんと読んだことねーだろって思ったことは置いておいて、そんなものを日常に即して書いていけたらいいな高校卒業後15年して思い立ちました。
”面白いものを!”ってなっても"独自の切り口で!"ってなってもどっかで行き詰まり、筆が進まなくなってしまう恐れがあるので本当にあったこと、経験したこと、思ったことを少々のスパイスを交えながら書いていけたらいいなと思っています。
地球の片隅のどこかわけのわからないところからお送りしますんでぜひ楽しんでみてください。
P.S.寄せ書きに「お前の日誌には当たりはずれがある」って言った臼井、お前マジ許さねーからな(そういう意見本当に参考になりますありがとう)